〔2〕 倉頡(ソウケツ) − 漢字の発明者 はたくさんいた |
3.同じことばに複数の字
ところが、倉頡(そうけつ)がたくさんいたことによって、ひとつふつごうな点もあります。それは、ひとつのことばに対して、複数の人が、それぞれに文字をつくり、同じことばを全く別の形で表現してしまった例があるということです。 たとえば、「服」という字と「伏」という字は、全く同じことば「プック(ピタリとひっつく):日本語の音読みではフク」ということばをあらわすために生まれました。このことばをあらわすために、ひとりの倉頡は「服」という字をつくり、もうひとりの倉頡は「伏」という字をつくったのです。 けれども、両方とも全く同じことばをあらわす字なのですから、どちらかひとつの字があればもうひとつの字は不必要なのです。不必要な字があると、それを使う人は混乱します。 たとえば、 「降服と書こうか、それとも降伏と書いたほうがいいのだろうか」 などと迷ってしまうことがあります。これは非常につまらないことです。どちらを書いても全く同じなのですからこんなことで時間をつぶすのは無意味なことです。 けれども、同じことばをあらわす漢字が二つ以上あると、こういうこともおこるわけです。 もうひとつ例をあげると「パック(平らにしきのべる):日本語の音読みではフ」ということばをあらわすために、ある人は「布」という字をつくり、もう一人は「普」という字をつくり、またある人は「敷」という字をつくりました。 ということは、「字形」(字のかたち)が違っても、これらの漢字があらわす基本的な意味は同じだということです。 ですから「公布」や「普通」それに「敷設」という熟語を、「公布」・「布通」・「布設」と書いても同じことなのです。ということは、その中でいちばんやさしい「布」という字だけを使うことにすればよいはずなのですが、現在の日本ではそれは認められていません。だから、これらをすべておぼえて区別せねばなりません。 ※(注):「布」「普」「敷」が「同じことば」というのは、少し誇張した表現ですが、 この部分の説明の都合上、しばらくお許しください。 |