言い換え&言い逃れ辞典 (もくじ) 漢字家族|渾沌 | ||||
---|---|---|---|---|
01 漱石枕流(そうせきちんりゅう) ← 「枕石漱流(ちんせきそうりゅう)」 | ||||
「漱石枕流」(イシニクチススギ ナガレニマクラス) 古典的な言い逃れであり、最も有名なものである。「さすが」にうまい言い逃れだというので、「流石」とだけ書いて「さすが」と読むようになったという。 ところは中国。六朝時代の晋という国に、孫楚(そんそ)という人がいた。負けん気の強い人で、「ああいや、こういう」、言い間違いを指摘されても、何かとこじつけて言い逃れる。 さて、ある時、孫楚は「枕石漱流」と言うべきところを「漱石枕流」と言ってしまった。友人の王済がその間違いを指摘して、「石に口をそそぎ、流れに枕す ── ではおかしいよ!枕石漱流の間違いでしょ?」とニヤニヤしながら言った。 ところが、孫楚くんは、あわてずさわがず、こう切り返した。 「なにも間違っていないよ!”枕石漱流”という言葉があるのはあたりまえ。ぼくはその応用をしたまでさ。いいかい”石に口そそぐ”というのは、歯を磨くということ、”流れに枕する”というのは、耳を洗うためなんだよ」 さらりといい抜けた。 さーすがーーー!(流石)拍手。 ・・・とまあ、このお話のように、ほほえましい言い逃れもある。私たちが通常耳にするのはこの類(たぐい)であり罪がない。「言い換え・言い逃れ」がすべてこのような性質のものであれば、何も心配はないし、かえって潤滑油のようなものになるのだが・・・ ※耳を洗う 孫楚は教養があったので(当然だ)、次の故事をふまえて言い逃れたのである。〔荘子・逍遥遊篇〕 尭帝は高名な賢者にして隠者の許由(きょゆう)に国を禅譲しようと決心して言った「月と太陽が出て世の中を明るく照らし出しているのに、たいまつを灯したままでいても意味はありません。すでに恵みの雨が降っているのに、あくせく田に水を引いているのは徒労というほかありません。今や、あなたがいらっしゃるのに私が今の位に付いているのは無意味・徒労そのものです。国政をお任せいたします」 許由は答えて言った「あなたが国を治めになられ、すでに立派に治まっています。私があなたに代わってその位に付いたとて、名誉職で実質何の変りもないのです。私は美名を求めない。ミソサザイは森林に巣を作るが、それは一枝に過ぎない。モグラネズミは渇きをいやすために河を求めるが、飲むのは一腹の水だ。私と国の関係はそのようなもので、天子の富貴はあなたのものです。貴方は今のままで安心し、帰って休んでいればいいのです。私は政治に係わってもなすこともない。料理人が料理をしないからと、神主が祭器を踏み越えて来て、包丁を握ることはないのです」 ※この後、許由は「汚らわしいことを聞いた」といって、潁水で耳を洗った。 ※許由巣父図(クリック!) ※おまけ:許由が潁水で耳を洗っているのを見て、やはり尭帝から天下を譲ろうと言われた高士の巣父(そうほ)は、そのような汚れた水を牛に飲ませることはできないとして、牛を引いて帰っていった。 ※孫楚も王済も士大夫(教養人)なので、この故事を意識して「耳を洗う」と言ったのですねえ。だからこそ王済は、ニヤリとして「さすが」と拍手したわけ。 ※荘子が楚の威王の招聘を辞退した記事。〔荘子・秋水篇より〕 | ||||
02 援助交際(えんじょこうさい) ← 「売春・買春(ばいしゅん)」 | ||||
最近、「カイシュン」という言葉を耳にすることがある。通常ならこの音(オン)からは「改悛」(改悛の情)という言葉が思い浮かぶが、文脈からして性的なことを意味する単語だと察し、「回春」という熟語を頭に浮かべて話を聞いていると、どうもつじつまが合わない。 しばらくして、「ひょっとして”買春”のこと???」という疑問。やはりそうだ。最近のテレビニュースでも「ジドウカイシュン」などと言っていた。これは「児童買春」のことであろう。それにしても物騒(ぶっそう)な世の中になったものだ。どうして日本は「なんでもあり」の世の中になってしまったのか。(いや、まあその問題は別の頁で・・・) たぶん、「バイシュン」だと、耳で聞いただけでは、「売る」側のことをさすのか「買う」側のことを問題にしているのかが瞬時に判断できないので、「買う」方を「カイシュン」と読むような申し合わせができたのであろう。べつに「湯桶読みはいけない」などと、へんなつっこみはしたくないけど、「カイシュン」とはねえ。ほんとうにまぎらわしい。「造語」するのはかまわないけど、その場合は同音異義語がないものという条件をつけてほしい。「カイシュン」の同音異義語は、「改悛」「回春」の他に、「悔悛」「懐春」「改春」「開春」などというものがあるそうだ。 さて、最近はあまり耳にすることもなくなったのだが、ひところ「援助交際」という言葉が流行した。新聞やテレビ・ラジオのニュースまでこの言葉を使っていたので閉口する。 はじめてこの言葉を聞いたとき、訓読に困った。「交際を援助する」→「仲人さんのことか? それとも新手の結婚紹介所か???」同僚に質問すると実状を解説してくれた。本当に日本はどうなっているのか!!! このような行為は明らかに「売春・買春」であり、倫理的に許されないのは当然のこと、日本国の法律でもはっきりと禁じられている。 ※売春防止法(クリック!) ■第三条(売春の禁止) 何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならない。 ※児童売春・ポルノ禁止法(クリック!) ■第四条 児童買春をした者は、三年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。 法律で禁止されなくても、明らかにダメなことだ。それを、いうにことかいて「援助交際」とは言語道断(ごんごどうだん)。こんな言い逃れがあっていいはずがない。犯罪行為をあたかも「崇高なヒューマニズム精神に基づく行為」のように賛美する言葉である。しかも、当事者たちがそのように言い逃れ、言いくるめるというのなら、まだ話がわかるが、マスコミまでがこの言葉を使用するのは絶対によくない。「援助交際」という言葉を認知し公表することは、行為そのものまでを認めることになるからだ。 ここは絶対に言い換えをみとめず、はっきりと「売買春」とすべきだ! | ||||
03 言論の自由(げんろんのじゆう) ← 「出歯亀(でばがめ)」 | ||||
<週刊文春>田中元外相の長女記事で販売差し止め命令 元外相の田中真紀子衆院議員の長女が「掲載予定の記事はプライバシー侵害」として、17日に発売される週刊文春の出版禁止を求めた仮処分の申し立てについて、東京地裁(鬼澤友直裁判官)は16日、発行元の文芸春秋(東京都千代田区)に販売差し止めを命じる決定を出した。プライバシー侵害を理由に、小説や単行本などの出版差し止めを命じる判決や仮処分決定は相次いでいるが、週刊誌に対しては極めて異例。これに対し、文芸春秋側は地裁に異議を申し立てる方針。出版されれば、長女側は損害賠償を請求するとみられる。 (毎日新聞)[3月17日1時51分]
文春問題で出版労連が声明 言論弾圧と批判週刊文春の出版禁止を正当とした東京地裁の決定に対し、日本出版労働組合連合会(出版労連)は22日、「表現の自由を侵害する事前規制であり、言論弾圧」と批判する声明を出した。 声明は「今回の記事内容で出版禁止になるならば、週刊誌の大半の記事が出版禁止になる。政治家の強権的行動やスキャンダルを批判する雑誌を押さえ込もうという意図があらわ」などとしている。 (共同通信)[3月22日16時31分]
週刊文春に掲載された記事の内容については知る由もないが、個人のプライバシーを覗き見(出歯亀)したものであろうことは、一連の報道から容易に想像できる。これに対して、マスコミや日本ペンクラブは「国民の知る権利を抑圧する道具に悪用される恐れがある」と主張している。「知る権利」とはそういうことをさすのか?方向性を誤ってはいないか? マスコミは口をそろえて「言論の自由の侵害」だと言っているが、言論の自由とはこのようなことをいうのだろうか。新しい日本をつくるために文字どおり命をかけて闘った、あの明治時代の自由民権運動家たちが、今日のこの状況を目の当たりにしたとしたら、それこそ死にたくなるに違いない。(既に鬼籍に入られましたが) 「言論の自由」とは、国政に対して正々堂々と発言する権利をさす。個人情報を勝手に公開することではない。「知る権利」とは、国民が国などに対して情報の提供を求める権利のことで、国政の最終決定権を有する国民に、「言論の自由(自由な言論)」の材料となる情報を国側が情報提供することをいう。他人のプライバシーを覗き見(出歯亀)することではない。 ※引用 それ人皆自由の心あり。於(ここ)に以て宗教を立て、道学を闡(ひら)き、芸を講じ、伎を開き、農を力(つと)め、商を勧むるときは、これ人々各々その自由の心を運用してこれを宗教に道学に芸に伎に農に商に及ぼす者なり。政に至り奚(なん)ぞ独りしからざらん。 昔者英仏の民自ら言って曰く、我辜(つみ)なきも我が天子我が宰相一紙の詔令を発し以て我を刎(くびは)ぬべし、我れ財あるも我天子我宰相一紙の詔令を発し以て我れに奪うべし、我れ租賦を納(い)れ徭役(ようえき)に服するも果たして何の用ゆる所なるや、我れ戎陣(じゅうじん)を履(ふ)み命を鋒鏑(ほうてき)に殞(おと)すも、果たして何の利する所なるや、我れもし事を論じて譏切(きせつ)するあらば罪に抵(いた)ることなきを得んや、我れもし書を著し風刺するあらば罪に抵ることなきを得んや、我天子聖明なり我宰相賢良なり、今は我れ個よりこの数の者に憂うることなしといへども、千秋万歳の後あるいは危うきことなきを得んやと。こと言の一たび発する、これ乃ち英吉利(イギリス)大憲令の起る所以(ゆえん)にして、法朗西(フランス)一千七百八十九年告示の興る所以なり。 中江兆民【東洋自由新聞 明治14(1881)年3月25日】より抜粋 ※現代語訳 さて、人みな自由の心がある。その上で宗教をたて、道学を開き、学芸を講じ、技術を開発し、農業につとめ、商業に専念するときは、これこそ人びとが、おのおのその自由の心を運用して、それを宗教に道学に学芸に技術に農業に商業に及ぼしているのである。政治だけなぜ一つ例外なのか。 昔のことだが、イギリス、フランスの民は自問自答して言った。 「自分に罪がなくても、天子や宰相が一枚の紙きれを出してわたしの首をはねかねない。自分に財産があっても、天子や宰相が一枚の紙きれで自分から奪ってしまうかもしれない。自分が、税金を納め、命令で働きに出ても、はたして何に使われているのか。わたしが戦陣に出かけ、いのちを戦闘でおとしてしまっても、はたして誰の利益になるのか。わたしがもし事を論じて非難したとすれば、罪におとされはしないだろうか。わたしがもし本を書いて風刺するならば、罪におとされはしないだろうか。 わが天子は聖明である。わが国の宰相は賢良である。今わたしは、もちろんこうした心配をすることはないけれども、先年万年のあとはあぶなくなくてすむだろうか」と。 このことばがひとたび発せられたことこそ、イギリスで大憲令の起った理由であり、フランスで1789年の人権宣言が発せられた理由である。 中江兆民【東洋自由新聞 明治14(1881)年3月25日】より抜粋 ※「出歯亀」=「Peeping Tom」 | ||||
04 処分する(しょぶんする) ← 「殺す(ころす)」 | ||||
05 絶対安全 ← 「管理責任の放棄」 | ||||
原子力発電所のこと。国や電力会社は「原発は絶対安全」と言い続けた。このページで、「原発は危険だ」という基本認識がなければそれこそ危険だ!と警鐘を鳴らす前に結果が出てしまった。早くからこの欄に「管理責任の放棄→絶対安全」という見出しをつけたものの、本文を入力する暇がなく、「後回し、後回し」にしているうちに惨劇が起こってしまったのである。 ※注[1999年9月30日 東海村JCO臨界事故]のこと 「私は絶対病気にはならない」と言って、健康診断もせず、健康管理を怠っていると恐ろしいしっぺがえしが待っているかもしれない。それよりも「人間は病気になるものだ」という認識を持ち、できるだけ定期検診を受け、体調が気になれば、忙しくとも病院に行くようにすることを心がければ、万が一疾患が見つかったとしても、「早期発見」で大事に至らない可能性が大きい。何も見つからなければそれにこしたことはない。「オレはいたって健康だ。お医者などにかかるものか」などと言っているうちに癌細胞が増殖し、他の部位に転移し、「手遅れ」になってしまわないとも限らない。 「原発は危険なものだ」という認識があれば、常に管理を怠らない姿勢が生まれる。ところが「原発は絶対安全」などと大見得をきってきたものだから、このような結果となったのである。
| ||||
06 現実主義 ← 「側目(メヲソバム)・目をそらす」 | ||||
07 人道支援(じんどうしえん) ← 「阿諛迎合(あゆげいごう)」 | ||||