不亦説乎


※論語の、「不亦説乎」 は 「また、よろこばしからずや」
とよみます。しかし、この訓には注意が必要です。
現代の日本で「よろこばしいことだ」という場合、どちらかというと、他人の態度を評価して好ましく思ったときに使用されることが多いようです。

しかし、論語のこのことばは、他人を評価したことばではありません。

説=悦 心のしこりがとれてうれしくなる。つまり、今までずーーっと疑問に思っていたことがあり、心の中がモヤモヤモヤモヤしていた。ところが、学習を積み重ねることによって、ある日突然、その疑問点が氷解する。
「あっ、そうか! わかったぞ!!」 「ああ、そういうことだったのか!」
心の中がスカーッとして、じわじわじわじわと喜びが湧いてくる。そういう気持ちを表しています。
「訓」にまどわされないようにしましょう。

※余談ですが、「惑」という字を「まどう」とよんでしまうと、意味が大きくズレてしまいます。
論語の「四十而不惑」「四十にしてまどはず」などとよむと、孔子のことばからずいぶんとズレた解釈になってしまいます。このことについては、これから後の解説をお楽しみに!

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